電車がようやく終点に着いた。自分以外に誰もいないので降りる間を外してしまい、まごつきながら席を立ち、網棚から鞄を降ろして、開いたドアから、そそくさと降りた。
ずり落ちそうになった眼鏡を掛け直すと、駅の様子が目に入った。私はそれに親近感を抱いていた。
何の特徴もない物寂しい駅のプラットホーム。夕暮れ時の斜めからの陽射しが、妙に目をちくちくと刺激する。
改札口の駅員がこちらを気にしているようだ。
もう駅から立ち去らねばなるまい。そう考えると、何か自分の心に引っかかるものがあって、なかなか取れないらしい。普段は目に留めない駅の姿を、さも珍しいものでも見るような目つきで見回してしまった。
駅名を記した標識。三十数年間、平日の方には目を遣らなかった時刻表。逆に、いつも苛々して見ていた掛け時計。読み終わった夕刊を放り込む屑籠。その横で灰を被っている灰皿。所々ペンキの剥がれた、黒くのっぺりとしたベンチ……。
駅に来るときは決まって発車十分前で、立ったまま、あと少しで車庫からやって来る電車を待っていた。
私はベンチに腰を下ろすことにした。
忙しい毎日だった。終点に到着すると息を吐く間もなく家路を急いだものだった。この駅はそんな私をどんな目で見ていたのか。私は煤けたコンクリートのホームをじっと、じっと、見ていた。
若い男の声がする。
「あの、どうなされました?」
「んっ、い、いや、そういうわけじゃないんだ。私はだいじょうぶ。ありがとう、もう行くから」
若い駅員はおどおどしながら私を気づかいつつ改札口へと急いだ。
私はポケットから定期を出して、それを彼に渡した。
彼はそれをちらっと見て、
「ご乗車、ありがとうございました」
と言った。
私は、ふと、駅員に何かを訊ねてみたくなった。
「えー、あー。……次の電車は、いつ来るのかな」
彼は慌てて手元の時刻表を覗きこんで、たどたどしくその時刻を教えてくれた。
「そうか。どうも……ありがとう」
私は腕時計で時間を確かめると、夕日に赤く照らされた踏み切りの前で、カンカンと鳴り始めるのを待った。
西日を真横から受けている中年の姿は、他人の目にはどう映るのだろう。真っ赤な世界に独り、私だけが取り残されたようにも思えた。
言い知れぬ妖しい思いが、胸を激しく掻き乱す。
唐突に踏み切りが鳴り出すと、私は道へ戻って、列車の過ぎるのを今か今かと待つのだった。それはまるで、初めて新幹線を見に行った時の、あの胸の高鳴りが私の心を捉えたようで……。
しかし、電車はそっけなく、奥のホームから私の前を通って次の駅へと走り去っていった。
普段と何一つ変ることなく、電車が走っている。
いつも通りの姿を最後まで見届けると、私は踏み切りを横切って、家族の元へと家路を急ぐことにした。
(了)