老いた私の親が、目の前で遺書を長々と書いている。
縁台で盆栽をぼんやりと見ているのを、私はたまらずに声をかけた。
父は箪笥の引き出しを開けると、北向きの書斎の鍵を出して、袴を引きずりながら廊下を渡り、書斎の錠を外した。
錆びた蝶番が軋み、人一人がようやく通れるほどの隙間までしか開かない扉を、父は易々と通り抜けて振り向き、私を手招く。私はそんな姿に、老いを感じていた。
二十年ほど前から私は一度もこの部屋に入ったことがない。そこは想像していたものよりはずっと狭く思えた。茶色に変色した安っぽい文庫本や、三十巻以上並び連ねた百科事典。誰にも読まれぬようにと思ってか、梯子を立てねば届かぬ高さにポツンと置かれた、鮮やかな装丁の本。周りの本よりもふた周りほど大きいのはアルバムだろうか。もっと下の、床に近い段には細長い背表紙がある。
父は机上に原稿用紙を一束置いて、右手にメッキの剥がれた万年筆、左手は老眼鏡がずり落ちるのを何度も戻してやりながら、何かを書き始めたのである。
新聞の字を見るのも苦労するほどに暗い部屋の中、そこだけが白熱灯の下、ぼうっと揺らいでいるようだ。
万年筆は滞ることなく字を書き連ねていく。長年の相棒とぴったり息の合う様子だ。
私は床に敷き詰められたかのようにある本と本の間にどうにか場所を確保して、腰を下ろし、その姿を見上げていた。
時々私を見ると、私に笑って見せる親というのは、なんとも不気味なものだ。眼鏡の奥にどんな考えが潜んでいるか、分かったものではない。
私はできるだけの笑顔を返し、内心冷や冷やし通しであった。
あんな義兄に遺産を継がせるのはどうかと、私は自分から反発した。父の財産は、たしかに今の私にとっても、十分に魅力あるものだ。しかし何より、私はあの高慢な義兄に心底愛想が尽きていたのである。
そんな私に老父は何も言わずに、ただニコニコと縁台を立ったのだ。
父は名の知れた、しかし二流に収まった小説家であった。
私は親の七光りと言われながらも、父に追いつこうと筆を走らせてみたものだ。
抜けはじめた頭髪に周章狼狽、薬局で養毛剤を買いに走った帰りに、私は電気屋のテレビに自分の写真が映っているのを見た。
あわてて帰宅した私を、父は大手を振って祝福してくれた。
私が三十路を半ば過ぎた頃、もう二十年も前のことだ。
その頃、ふらっと家を訪れた男は、父に、私の見知らぬ女の写真を見せた。
その後はありがちな展開で、それを境にして、父に対する私の態度は一変した。
家を出ていった母の気持ちを汲んでのことであった。
そして父は、逃げるように書斎に篭りがちになって、やがて錠をつけてしまった。それゆえ、私は父が筆を持つ姿を、実に久しぶりに目にするのであった。同じ屋根の下にあって、疎遠になってはいたが、しかし心のどこかで尊敬していた父である。父の書く様子を見て興奮している私は、心の裏側で思わず自嘲していた。
それを見通してか、父は終始機嫌が良いようであった。
父の死後、弁護士から手渡された遺書を開いた私は、ただ無言でその意味をかみ締めていた。私が相続した遺産は、住み慣れたこの家にある物全てとこの家そのもの、そして一冊の本であった。後は全て義兄のものだと弁護士は言った。
事務的なことを済ませた後、弁護士は事情の重さから逃れるように帰っていった。
弁護士の置いていった書類を仕舞おうと、箪笥の引き出しを引いた時。
数日前、父の開けたばかりの書斎の鍵が転がっていた。私はそれを手にとって、何かに導かれるように書斎の戸を開けた。
机上に重ねられた真新しい原稿と、重しのようにその上に重ねられた単行本があった。すっと手を伸ばして、何かに打たれるのを恐れて引っ込めた。
重ねられた単行本の一番上のそれは、忘れもしない、何度も読み返した父の処女作であった。改めてそれを手にとり、郷愁にもいた感情を抱きながら、穏やかな一時を過ごした。
机の上の原稿は、私に贈られた作品らしい。一枚目にそう書いていた訳でもなく、何となくそう思えたのだ。小説家としてではなく、一人の読者となってそれを読み進めていたら、私は呆気に取られた。最後の一枚に、遺言が書かれていたからだ。
そこには、たった一行、「この続きを、よろしく」とだけあった。
原稿の隅に、それはひときわ丁寧な字であった。
父は、私の気持ちを察してくれたのだろうか。
老父は、あの時、何を考えて笑っていたのだろうか、……その想いがやっと分かった。
死してなお私を支えてくれた父を、私は誇りに思っている。
(了)